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(Thu)18:55

『スキタイと匈奴 遊牧の文明』


スキタイと匈奴 遊牧の文明 (興亡の世界史)スキタイと匈奴 遊牧の文明 (興亡の世界史)
(2007/06/16)
林 俊雄

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読み終わりました(やっと)。
難しかった。
でも面白かった。
今回も、レビューではなく脱線し放題な雑感です。

スキタイ
この本が難しかった原因は、アジア史の知識が、はるか遠い昔に大学受験で勉強したっきりのものであったこと、さらに中央アジア(ユーラシア)史に関しては、NHKスペシャルあたりを見た程度の知識しかないど素人であったこと、ですね。
じゃ、何故そんなよく知らないテーマの本を手に取ったかというと、スキタイです。
昔から漠然とスキタイに興味があったんです。

スキタイは前7~4世紀頃、アッシリアだバビロニアだのの古代帝国があった時代に、黒海北方にいた騎馬民族。
(この本の著者は、騎馬”民族”ではなく、騎馬”遊牧民”という言葉を採用してます。そのわけは「はじめに」に書かれてます)
インドヨーロッパ語族の一派ということで、ヨーロッパ人の原郷問題にも絡んでくる、欧米人にとっては関心の高いヒトビトです。
スキタイ組曲なんて曲(ロシアの作曲家プロコフィエフ作)もあるし。
原郷問題というのは要するに、「我々(インドヨーロッパ語族)はどこから来たか」問題です。
これはスキタイの時代よりももっとさかのぼった時代の話になるので、直接関係ないかもしれないけど、インドヨーロッパ語族発祥の地がカフカス(黒海とカスピ海の間の山脈)の北側か、南側のアナトリア地方(現トルコ領内)かで議論が分かれてるようです。
ロシア(一時期ソ連)の学者は、自国領内ということもあり、北カフカス説が好きみたい。
邪馬台国に九州説と畿内説があるのと似たようなもんですね。
この地域の発掘・研究は、このあたりがソ連(社会主義国)だった影響もあって、進んでないようです。

この「どこが発祥」の議論が、スキタイの起源に関してもあるということです。
スキタイ系文化といわれるものは、現モンゴル方面にまで及ぶほど広い範囲に痕跡が残っているようですが、その文化が「黒海沿岸に生まれ東に伝播した」説と、「東(アジア)から来た」説があり、やはりロシア系の学者は前者を支持する人が多かったようです。
ところが近年、東方の南シベリアにより古い遺跡が発見されて、東からもたらされた説が有力視されるようになってきた、とのことです。
考古学は、乏しい資料から、こうかもしれない、ああかもしれないと推論するしかない学問なので、国の事情なども入り込んで大変、みたいなことを著者が書いてました。
1に1を足したら2でしょ、な感じのキッパリ感がないからホント、大変なんでしょうね。

ヒッタイト
ヒッタイトに関しては、この本には年表に登場する以外一切記述はありません。
そりゃそうです。彼らは遊牧民じゃありません。
完全無欠に私の個人的脱線です。

ヒッタイトは前15世紀頃、アナトリア(現トルコ領内)に現れた民族・国家で、鉄器文明で知られていますね。
ヒッタイトといえば鉄器。
これ、受験勉強的に常識ですよね。
でもここではそれはどうでもいいです。

なんとなく予想できるかもしれないけど、この人たちもアレです、インドヨーロッパ語族。
ヒッタイト語は、きっとある筈、なインドヨーロッパ祖語から早い段階で分かれたとされる古代語で、その割に、印欧語特有のあれこれややこしい文法をあっさり捨てて、現代英語みたいに色々簡単になってる言葉だそうです。
興味深いです。
この本の内容的に全然関係ないことですが★

ヒッタイトは、インドヨーロッパ語族原郷候補地のカフカス山脈南方にいたわけだけど、じゃあスキタイはどうかというと、遠く東アジアからやってきた可能性があると。
だったら、スキタイは、はるか遠い時代に原郷から東方へ旅立った一派が、時を経てまた戻ってきた人々なのかも。
そう思う根拠は、

・原郷は、インドヨーロッパ語に共通する単語のうち、生物や環境など自然に関するもの一致から、大体カフカス山脈を中心にした地域のどこかと目されている
・この本によると、定住集落→遊牧生活という順に発生している

つまり、原郷で定住していた集落の人々が、牧畜事業を拡大していった結果、定住地に帰らない遊牧民になって東へ東へと牧草を求めて旅していったのかも。
そして長い旅路の果てに一部の集団がまた帰ってきたとか。
この辺は完全に私の個人的妄想なので、信用しないように。
ちなみに遊牧民=騎馬遊牧民ではありません。

匈奴
時代はぐっと下って、前3世紀。
スキタイ時代よりもだいぶ資料が残っているので、匈奴に関しての記述は詳しいです。
学校で習う世界史では、アジア史といえば中国史。
中国が主役の歴史なので、なんだか中国古代王朝が周辺諸国に比べて圧倒的に強い印象があるけど、どうもそんなでもなかったらしい。
漢の初期、北方の匈奴は超ヤバくおっかない隣人さんだったようです。
だから、どうか襲ってこないでくださいへこへこ、とセレブなあんなものやこんなものを贈ってお願いをしてた…のに、匈奴の皆さんは講和条約なんて関係ないとばかりにホイホイ略奪にやってきていたとか。
初期の漢の軍隊は歩兵が中心だったので、馬に乗ってダーッとやってきて好き放題略奪してサーッと帰っていく匈奴に手の打ちようがなかったようです。
プロペラ機でジェット戦闘機と戦ってるようなもんだったのかも(そんなこたないだろ)

匈奴の言語はテュルク(トルコ)系とされています。
漢は盛んに匈奴と外交を試みていますが、ここで面白いのは、著者がちょいちょい「で、この人たちは何語で会話してたんかい?」的な突っ込みを入れているところです。
確かに気になる。
有能な通訳がいたのだろうか?
匈奴側の文字記録はないので、資料は司馬遷の「史記」と、あとは「漢書」によってるから当然それは漢語で書かれているわけだけど、とある戦闘場面の描写で、漢軍が匈奴の砦を攻めているときに匈奴兵が何だかんだ叫んでた、という記述があるが、なんで言ってることがわかったんだい?な感じの突っ込みが特に面白かったです。

テュルク系言語を話す民族は、中国北方の広い範囲に古くからいたみたいだけど、彼らもまたその昔、どこか遠くからやってきたんでしょうか?

さて、匈奴、は当然「きょうど」と読むわけです…日本では。
でもその字面は、漢の時代に匈奴語の音に当て字したものよね。
匈奴に限らず、中国古代王朝に残る諸外国に関する記録は、相手国の発音に準じた当て字になってるわけよね。
日本で習う時、それをさらに日本語読みに直してしまうのはどんなもんなんでしょう?と思いました。
多分、というか間違いなく、元の発音から遠くかけ離れてしまってるでしょう。
匈奴時代の遺跡発掘現場の写真が載っているのだけど、その出典がドイツ語なので、匈奴をHsiung-Nuと書いてます。
う~ん…
どう読めば…
でもこれが国際的に通用する「匈奴」の表記ってことよね。
知らないとなんのことだかわからないよ、日本人には。

匈奴は、漢字の古代音では「ヒョンヌオ」と発音すると考えられているそうです。
現代中国語でどう読んでるのかはしらないけど、先のドイツ語を見ると、「ヒュンヌ」くらいの感じなのでは?
日本でもそれに倣って教えたらいいんじゃないかと思うんだけど。

大月氏
本書では、匈奴に続きフンの記述に移るんだけど、それはそうとして私は大月氏。
大月氏が気になる。
実を言うとずっと前から気になっていた。
だからと言って調べてみようとも思ってなかったのだけど。

何が気になっていたかというと、学校で習った歴史では、秦時代、北方民族に月氏というのがいるんですよ。
匈奴台頭前に北方で東胡と勢力を二分していた強国ですが、匈奴に追われていなくなったと。
で、漢時代の地図では、西の方に大月氏って国があるんですね。
月氏…だったのに、西に逃れて名前を変えたのか?
何で「大」をつけた?
何があった?
などというどうでもいい疑問を持っていました。
でも大月氏は受験用世界史でさして重要項目ではないので、ここを学校で詳しく習うことは、昔も今もないでしょう。
この本を読んで、やっと長年の謎が解けました。
月氏、匈奴に追われて西走した時、二派に分かれて、遠く西域まで行った大集団を大月氏、近くに残った小集団を小月氏と呼んだということです。
なるほど~
きっと彼ら本人的には大も小もなくどちらも「月氏」だったんだろうけど、周りから大小の区別をつけられたのね。

さて、東アジアの北方地域で勢力を誇っていた月氏だけど、彼らもまたインドヨーロッパ語族と言われてます。
そんなところまで行っちゃったんだね~。
なんか、人間の行動範囲の広さに驚きます。
同じ人間でも、私は行動範囲狭いけどっ(>▽<;)

そのうちこれも読もうと思う…↓

大月氏―中央アジアに謎の民族を尋ねて (東方選書 38)大月氏―中央アジアに謎の民族を尋ねて (東方選書 38)
(2010/03)
小谷 仲男

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